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司祭の勉強を手伝うことは、福音化の手伝いです。

名前 セザール・ルイス・モルバッハ
年齢 39歳。
シチュエーション Presbyter。
原点です。 ブラジル、ノボ・ハンブルゴ
研究: ローマ教皇庁立聖十字架大学神学部。

「私はリオ・グランデ・ド・スル/ブラジル、ノボ・ハンブルゴ教区の司祭、セザール・ルイス・モルバッハ神父です。私は1984年9月4日、カンピーナ・ダス・ミソンイス市で、農家のアマティーノ・モルバッハとペトロニーラ・シュッツ・モルバッハの息子として生まれました。姉が1人、弟が2人います。私は田舎の素朴な暮らしの中で生まれ育ち、両親の家事や農作業を手伝いました。子供の頃、私は両親から正直で質素、そして何よりも神への信仰と愛の模範を学びました。宗教的な家庭である我が家では、食事の前に食卓で祈ることが習慣となっていますし、ロザリオを祈り、日曜日のミサ(内部共同体であるため、毎週日曜日にミサをすることができないので、祝祷)に参加し、また共同体への奉仕も行っています。

両親の模範、教会共同体に献身する愛、両親の信仰、そしてサント・アンジェロ教区(私の両親が所属する教区)の小神学校に入学した友人たちの証しによって、私は神学校で学びたいという願望を抱くようになりました。1998年、神学校での召命の週末を経て、私は翌年神学校に入学することを決めました。

しかし、ある事情により、私はこの決断を先延ばしにしました。そして1999年、14歳になった私は、より良い生活を求めて、神学校に入るためではなく、ドイス・イルマイオス市に住む姉一家と暮らすために実家を出ました。そして1999年8月、まだ14歳だった私は、靴を製造する会社で働き始めました。日中、7時から17時半まで働き、夜は勉強しました。 8年間(4年間は靴の会社で、残りの4年間は家具の会社で)働いた後、2006年、中学を卒業し、ヴァーレ・ドス・シーノス大学(ユニシーノス)の数学コースに入学した後、神から「逃げていた」時期がありましたが、幼なじみを通して、司祭叙階式の前夜に、神は再び私に会ってくださいました。

そして2006年8月26日、21歳の時、仕事、大学、家族、恋人、友人......。ノボ・ハンブルゴ教区の準備神学校に入るために、すべてを捨てました。2007年と2008年にはイタペセリカ・ダ・セラ市にあるマリア・マーテル・エクレシアエ神学校(キリスト在郷軍人会が運営)で哲学を学びました。2009年には教区に戻り、リオ・グランデ・ド・スル教皇庁立カトリック大学で神学を学ぶため、ヴィアマン市にある主要神学校サン・ルイジ・ゴンザーガに入学しました。

2012年、教区司教の要請により、また教区の慣例により、私は学業を中断し、ポルト・ヴェーリョ大司教区の姉妹教会、より具体的にはモンテ・ネグロ市のサン・ジュゼッペ小教区で、いわゆる司牧の年に専念するよう招かれ、一年を通してその小教区で司牧活動を行いました。司祭叙階式は2013年12月20日、ドイス・イルマンオスのサン・ミケーレ小教区で行われました。私は再び神の摂理に信頼し、私の後援者の方々からいただいた援助に感謝しています。ありがとうございました。

"私は生まれも育ちも田舎で、両親の家事や農作業を手伝いながら、質素な生活を送っていました。私は当初から彼らから、誠実さ、質素さ、そして何よりも神への信仰と愛の模範を学びました。我が家はとても信心深く、食事の前に食卓で祈ることが習慣になっていますし、ロザリオを祈り、日曜日のミサ(内陸の地域なので毎週日曜日にミサができないことも多いので、御言葉のお祝い)に参加することも今でもあります。また、私たちは常に社会奉仕に従事しており、困っている人々を助けたり、何らかの指導的役割を果たしたり、掃除や典礼の祝典や共同祈願の準備など手作業を行っています。

 両親の模範、教会共同体に身を捧げた愛、彼らの生きた信仰、そしてサント・アンジェロ教区(私の両親が領土的に属している教区)の小神学校に入学した友人たちの証言が、私の中に神学校での経験をしたいという気持ちを起こさせたのです。そこで、1998年、神学校での週末の職業訓練を経て、翌年、自分も神学校に入学することを決意しました。".